西山 さち子

空港近くでレンタカーを借りて、まず、「米軍が最も恐れた男」と題したテレビでも紹介された瀬長亀次郎の「不屈館」に行きました。関西では9月18(日)の朝4時半〜5時半に放送されました。ちょうど日刊紙の配達当番で、テレビを付けたら放送されていて、その時からぜひ沖縄に行ったら少しの時間でも「不屈館へ」との思いを強くしていました。瀬長亀次郎が衆院議員となり、1971年12月4日の沖縄・北方問題特別委員会で佐藤総理に迫った「返還が目的ではなくて、基地の維持が目的である。この協定は、決して沖縄県民が、26年間、血の叫びで求め要求した返還協定ではない。この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する。基地となることを拒否する。」との言葉。その思いは今も沖縄に流れています。
2日目の座り込み
名護市のホテルに泊まり、8日の朝はまず辺野古に向かい、午後には高江に行きました。今回は緊迫している東村高江のヘリパッド建設の様子をお知らせします。
高江には1時前に着くことができました。ちょうどお昼休みの時間でしたので、停車させられることなくメインゲート前を過ぎ、「N1ゲート前」に着きました。レンタカーは「N1ゲート前」を通り過ぎて邪魔にならない所に駐車し、歩いて「N1ゲート前」に向かいました。すでに何十人もの人たちが集っていました。ゲート前のテントに声をかけ、1時から始まる抗議行動に参加することにして、京都で預かったお金とあわせて1万円のカンパをしました。

午前中に辺野古の座り込みに参加した時に見たのと違い、高江ではすごい数の機動隊員です。1時を過ぎるとあれよあれよという間に機動隊員が出てきて次々と座り込み用に敷いてある木の板を片付け、「排除」の号令のもとで座り込んでいる人たちを「ごぼう抜き」していきます。私も隣の男性と腕を組んで座り込みましたが、その腕をはずされ、両手両足を4人で抱え上げられて、道路の端に「排除」されました。座り込みで抗議をしていた人たちをすべて端に追いやり、その前を1列に並びます。立ち並ぶ隊員たちはひと言も話しません。その後ろのほう(道路の中央)で、上司と思われるメンバーがハンドマイクで指揮しています。この間の「土人発言」などで、箝口令がひかれているのでしょうか。
地元の人たちの「なぜ、やんばるの森を破壊するのか。自然を守りたい気持ちがわからないのか。私たちは子や孫のために自然と平和を守りたいだけだ。」と言う強い抗議にも、ひと言も発せず表情さえ変えずに立ちはだかって土砂を運び込むトラックを守ります。
私は若い隊員たちの側に近づいて「みんな若いなぁ。独身?結婚してるの?早く帰りたいんちゃう?こんな所で沖縄の人から嫌がられるより、地元に帰ったら?やらなあかんことはたくさんあるやろ」と、小さな声で話しかけます。中には睨み返してくる隊員もいますが、多くはどんな語りかけにも反応しません。

ホテルで見た父親の顔
私たちの泊まっていたカヌチャベイホテルにも機動隊員たちがたくさん宿泊していました。中には休暇を取って家族を呼び寄せたのか、小さな子どもを連れてご飯を食べている隊員らしき人たちもいました。私が違和感を感じたのは、他の子連れの家族と違い、父親が子どもに対して表情豊かにあやすことができていないと思った事。何を言われても、豊かな自然や抗議する人たちがどうなろうとも何も考えず、相手の痛みを知ろうともせずに職務を忠実に実行する。そんな父親に育てられた子どもがどんなふうに成長するのだろうと考えた時に、今壊されているのは沖縄の自然だけではなく、日本の未来が確実に壊されていることに悲しみと怒りを感じました。

ネットでは一般市民に迷惑をかけているとか、日当が出ているとか、ひどい言葉を投げつけているとか、いろいろ書かれていますが、決してそうではありません。ネットやマスコミを使って、真実を覆い隠そうとする勢力に対しては、私たちも「不屈」の力で対抗しないといけない。今回沖縄に行って良かったと思いました。そして、少しでも沖縄で行なわれていることを知ってほしいと思います。
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