西山 さち子
4月13日(金)から16日(月)、山城地区委員会から「第26次南相馬市ほか震災ボランティア」に参加してきました。毎年春は比較的人数が集るのですが、今回は府知事選挙が終わったこともあり参加者も多くて、6人が1台の車に乗って行きました。寄附していただいたお米45㌔缶ジュースも一緒に乗せて行ったので結構窮屈でしたが、往復ともいろんな話題で車内は盛り上がっていました。

小高区は2016年7月に「避難解除」されました。今年3月末時点で、住民登録している2914世帯8412人の約31%に当たる1179世帯2640人が居住しているそうです。(震災前の3月11日時点での住民登録は、小高区が3791世帯1万2840人)
センターはJR小高駅からまっすぐに歩いて10分かからない程度の距離です。いわゆる「駅前のメインストリート」に少しずつお店がありました。

しかし、一歩脇道へ入ると地震の影響で壊れたままの住居や取り壊した跡地が目に入ります。ところどころ自宅の敷地内にフレコンバッグも見えます。戻ることを決断した、戻るに戻れない、戻りたいが戻らない…。笑顔の裏にも悩みはつきません。
14日土曜日は京都から持って行ったお米など2㎏の小袋にして、原町区牛越の復興住宅(県営)を訪問しました。仮設住宅や「みなし仮設住宅」から来た方などいろいろでした。全部で6棟(4階建て)で1棟に30軒前後(2~3LDK)ある立派な団地です。早くにできた復興住宅は入居者が多くそれなりにコミュニティも出来て来ているのかも知れませんが、牛越団地はちょうど建ってから1年。建ったのが、遅かったのでまだまだ空きの方が多いようです。牛越団地も入居率で言えば半分程度、土曜日は留守宅も多く会えたのは50軒弱でした。
私がお会いしてお話を聞かせていただいた方からは、「コミュニティが崩れたままの生活」を感じました。昨年度に管理人(棟の班長のようなもの)をしていて今年は隣がしているという奥さんは、お隣がお留守なので(訪問を)お伝えしておいてもらえませんか、と言うお願いに「隣りはいつ戻るか知らないし、話をしないから」と断られました。
中高生の子どもがいるという奥さんは「隣りが誰だかも知らない。ここは入ったかと思ってもすぐに出て行く人もあって、不安に思う」と教えてくれました。「いろいろあって、今は一人になった」と言う方(中年女性)は、何か困っている事があれば地元の党議員の連絡先を書いているので知らせてくださいと言うと、「個人的にはいろいろあっけどねぇ。」と笑います。

「笑うしかねぇっぺ」
くよくよしていても仕方ない。悩みぬいた時期は過ぎた。本当は腹が立って、悲しくて、それでも生きていかないと…。きっといろんな思いが渦巻いているのでしょう。
心の底から笑える時間が戻るようになるのかはわかりませんが、福島の人たちの思いや願いを忘れてはいけない。心に刻んで帰って来ました。
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